昭和43年12月12日 夜の御理解
お芝居にあの式三番というのがございますね。翁が三番叟に「しからば鈴を」とゆうて鈴を渡しますとあの鈴を持って、あの舞う下りになる訳ですが。その今晩私御祈念させて頂いておる時に頂きます事が翁ならずあのサンタクロースがね、後に鈴をこうあの三番叟が持って踊る様なあの鈴を後に隠しておる所を頂くんですよね。これはどう言う様な事だろうかと、私思ったんですけれどもまあクリスマスが近付いて来る。
もう正月だと、もうここ二十日で新しい年を迎えなければならない。まあ子供がサンタクロース、あのクリスマスを楽しんで、まああのサンタクロースから貰うと言われておる、そのプレゼントを貰う事を楽しみにして夢にまで描いておると。だからそれをその受けるという事の前にです、サンタクロースが後に隠しておる、この鈴ですね、まあ言うなら私は喜び、自分の心の中に喜び、信心の喜びを感ずると。
教祖様のお小さい時に、庄屋さんが「あの子は不思議な子だ」と、言うて教祖様のお子様の事を、時代の事を評しておられますね。あの子は普通の子とは違うと、何かもう普通の者で分からない、兎に角自分の心の中に金の鈴でも打ち振るような音色に聞き取れておるような感じだという意味の事を言うておられますね。自分の心の中に金の鈴を打ち振るような音色に聞き取れておる。
自分の心の中に何とはなしに、まあ有難いとも勿体ないとも分からない表現の仕様が金の鈴の音色にも似たようなものを自分の心の中に聞き取れておる。そんな感じだという風にゆっておられますように、私共もまずね、おかげを頂く前に神様からの贈り物を頂く前に、金の鈴のこの音色をね、神様がこう隠してござる。それを私共が頂かして下さいと、例えば三番叟が無心を言うてあの金の鈴を貰って、そしてあの三番叟が金の鈴を打ち振り打ち振り舞台狭しと踊り回って楽しむようにですね。
私共も一生懸命の御用をさせて頂きながらの中に、御用一杯喜び一杯の御用がね、私はまず必要だ。その先に、私はプレゼント、神様の贈り物、私共が願っておるところのおかげであり、お徳でありが隠されてあるんだという風に思うのです。今日も朝から、明日の十三日会の事についての打ち合せがあった後に植林の事がございましたから、今日は宮崎さんなんかも朝から一日御用を頂いておりました。
勿論あちらこちらの交渉やら話し合いでございましたけれども、もう一日御用にお使い回しを頂いて宮崎さんが感じておられる事なんです。もう兎に角神様の御演出には、もう只只恐れいってしまうの他はないち。もう、その一つ一つ話すと本当に、もうこれは何時もの事なのですから間違いのない事に驚いております。しかもあちらも立てればこちらも立つ皆が立ち行くおかげの中に。
しかも何とも言えんおかげの中におかげが展開してきて、しかもそれを一つにここにまとめてです、今日なんかは、そのおかげが感じられる一日であったというのである。今久保山さんがここでお届けされますように、或る教会的この事の、事について、今日の機会の後に、ここでお話しを頂いた中に、もう神様のお働きには恐れいってしまうという話を聞かれてですね。もう本当に何と有難い事だろうかと、この有難いおかげに。
合楽がなっていきよる事を久保山先生が、あなた聞きよんなさるですかち、言うて心の中にいわゆる、久保山先生に、その話し掛けられたち。あまりにその素晴らしいこの、神様の働きの中に、今日合楽がこうやって、合楽がおかげ頂いておる。久保山先生あなた、今の親先生のお話聞きよんなさいますかち。そしたら久保山先生が、もう生前もうあれが久保山先生の一番嬉しい時だという表情でですね。
あの姿を見せなさったと言うてから、お届けをしておられます。しかも手には、言わばここでは安心と言われる傘を二本も持っておられたと、こう。そうゆう私、あの間違いのない働きの中にですね、私共は日々信心の稽古をしているんです。ですからもう全ての事がですね。そうゆうあの喜びであのこうゆう間違いのない働きの中にお互いが御用頂いておるんだと思うたら、今日私御心眼に頂きますように、ね。
例えば三番叟がねえ翁に頂く鈴を打ち振り打ち振り、その鈴の音色にのリズムにのって自分の心の中から奏でられる所の喜びの音色というものを心の中に感じ感じ私は御用頂くという、そこの向こうにサンタクロースが与えられる所の私はプレゼントがあると思うのですね、正月のお年玉がそこにあると思うのですね。今日一日宮崎さんなんかそういう例えば神様の本当に恐れ入ってしまうと間違いないなあという事がですね。
親先生がずうっと今度の植樹なら植樹の事を言うてきなさった通りの事以上の事がですねえ、はあ本当にあれが無駄な様じゃったけれど無駄じゃない、こういう風にここで今日ここに生きておるという事をです感じられながらです、今日一日御用頂いておられます。はい本当にそうした神様のお働きの中に、特にこの合楽のお広前の上にそういう働きがあっておる。その中に御用頂いておるという事に喜びを感じて。
金の鈴を打ち振り打ち振り、私は舞台狭しと、この舞の御用をさせて頂くというところにです。今日私は頂きましたプレゼントがお年玉が、私は用意されてあるという事を思うのですよね。どうぞそこを頂くために信心しとるとじゃなくてから、兎に角神様の間違いのないお働きの中に御用にお使い回しを頂いておるという事が有難いと実感させてもらう信心がいかに大事かという事が分かりますね。
どうぞ。